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気付いたら、私の人生で一番
悲しくて辛いあの日から一年が経った
毎日、昨日の事のような感覚で
思い出すと泣いちゃうから、
思い出したくないけど、忘れたくない

世界で一番大切だった人の心臓が
私の腕の中で止まったあの瞬間
全ての痛みが無くなるのを心から祈ってた
ありったけのありがとうと大好きをこめたあの瞬間が
もう一年前だなんて、早すぎるなあ

火葬が終わったあと、骨の説明をうけたあと
ままのcvポートを探した
右胸のあたり、必死に探した
癌の治療を頑張った、形に残ってる証
とっていいですよって火葬場の人が言ってくれたから
持って帰ってきた
一緒に頑張ってくれたもんね
燃えなくてよかった、安心した

毎日本当に本当にする事がいっぱいで
毎日色んなあれこれに追われて、
子供がまだ1人で座れず、歩けない時は
ほぼ毎日1人で考えこんでは
ずっとずっと泣いて人生に絶望してた

でも子供がどんどん動けるようになって、
どんどん目が離せなくなって
保育園のことや引越しのこと、
おばあちゃんのことで
前よりも更に忙しくなって
あまり深く考える時間も減ってって
あんなに毎日死にたいとおもいながら、泣きながら
何とかすごしてたあの時間たちも
気付けば考える時間も余裕もなくなって

次から次に不安ばっかりが増えて、
考えることもすべき事もどんどん積み重なってって、
悩みはその分大きくなってった

その中で、子どもの存在はやっぱり大きかったなあ
子どもの成長を通して、
自分の過去を振り返ってみたり
洗い物をしながら様子を見てる時にふと、
ああままもこうやって、
私と姉を見ててくれたんやろなって思ったり
痛い思いをして泣いてる我が子を抱きしめながら
「大丈夫、大丈夫」って頭を撫でたり、
風邪をひいた時にちゃんと息してるか気になって
心配で夜眠れなかったり
寒くないかなって布団をかけ直したり
保育園の先生に抱えられて
泣きながら入ってく姿を見守ったり
迎えに行った時の嬉しそうな笑顔に笑えたり

と同時に
子ども関係の手続きの把握、
予防接種に泣く子どもをあやしたり
ご飯、毎日の時間の感覚、
体調管理、全部自分にかかってて
誰かの母になることで
初めての感情もいっぱい増えた

私もままに
大丈夫って言ってもらいたくて
偉かったね、よく頑張ったねって褒めてもらいたくて
そばにいるからねって言ってもらいたかった
小さい頃寝る前に
いつかままが死んでしまったらどうしようって
泣いて枕を濡らした日を思い出すなあ

あの時はどうだった?私たちはどんなだった?って
もう一生聞いて確かめることはできなくて、
想像でしか文字に出来なくて、
もっともっとたくさん
色んなこと話してたらよかったな

いつまでも私はままの子どもで、
ままはたった1人の、世界一のままで、
改めて、気づけてよかった

生きているのが心底嫌になって
しんどくなって耐えられなくなって
もう一人じゃ無理だなあって
何もかもから逃げ出そうとしたあの日のことは
脳が忘れようとしてるみたいに
あまり細かくは覚えてなくて、どんなだっただろう

一人の時間がなくなって、
子供のことでいっぱいいっぱいの日々で
初めての育児を楽しむ時間もなくて
とりあえず何も心配事が起こらないように
どうにか必死に頑張ってた

優しく手を握ってあげれたことが何回あったかなあ

毎日どこか心ここに在らずな感覚で
あの時の毎日を断片的にしか覚えてなくて
記憶が曖昧
とりあえず子供にご飯を食べさせたら満足で、
自分1人だと食べる気もおきなくて
だからいつも会って一緒にご飯を食べてくれるみんなに
ありがとうございます、です

ふと幸せを感じる度に、
いつかこの幸せが無くなるなら
幸せなんていらないよって
ちょっと強がったりした
運命なんて言葉じゃ片付けられないよな

どんなに心細くてもすぐに相談できる相手はいなくて、
すぐに頼れる相手がいなくて、
すぐに弱音をはける相手がいなくて
ずっと1人な気分で
子どもが好きって、それだけの気持ちだけでは
乗り越えれないことももちろんあって
何もかもひとりで、
変にたくましくなってしまったよ

今、このまま、ままに会いに行けたら
どれだけ幸せかなあ
何もかも投げ出して会いに行けたら
昔みたいにくだらない事でいっぱい笑って
一緒に服を選んだり、美味しいものを食べたりできたら
もうそれ以上のことは何も望まんのにな

今の私には、
いつかそう思ってくれるかもしれん自分の子供に
ままにいっぱいしてもらったように愛情を注いで
成長を見守るって大きな役目があって
分かってるけどでもやっぱり、ああ、会いたい

そんなつもりはなくても、
時間と記憶はどんどん遠くなってって
ものすごく寂しく感じる
思い出って思い出さないと、消えてしまう
誰かに思いを伝えきれることってきっとないよな
後悔も、ずっと無くならないままだ

私はちゃんと、できてるかな
まだ頑張りが足りないかな
甘いよって、人生はもっともっと大変だよって
言われてしまうかな
何言われてもどれだけ怒られてもいいから
やっぱり今すぐ、ままに会いたい

あの後の、私の出来事は
まだ文字にする勇気がない
いつか文字にして自分のこと救ってあげたい

あの日から今日までの一年間
一瞬ですぎてしまった
ままがもういないことを
話したいことがある度に思い知る毎日で
似た人を見かけると目で追いかけしてまう
まだまだ私の時間は止まったまま
ずっとこのまま、理解してないまま
時間だけがすぎてしまいそう

0.


私が妊娠した時、悪阻が酷くて
一人暮らしの家はそのままで、
実家に戻ったタイミングと
手術してリハビリを終えたままが
退院して帰ってくるタイミングが合って
一昨年の8月に、家族3人での時間が戻ってきました

私が1歳の頃にぱぱが亡くなって
そこからままはずっと1人で、
姉と私を育ててくれました
だから私たちはずっと女3人で
明るく楽しく、すごしてきた

私が妊娠8ヶ月頃の時、
ままの癌の転移がわかりました
膵臓、骨盤の内側の筋肉に2箇所、計3箇所
転移した時点で、手術してもイタチごっこで体を傷付けるだけやからと、抗がん剤しか使えません、と

あの頃 どんどんお腹が重くなってきてて
それまでは毎回私が一緒に病院ついていってたけど、
あの通院の日だけ、私はついて行けてなくて
家でままからのLINEに絶望して
死ぬほど泣いた
なんでままなんやろう、
なんで私たちなんやろう、
こんなに頑張ってきたのに、
こんなに素敵な人やのにって

声をおさえることも出来ず、
ただただ大きい声出して泣いた
帰ってきたままの顔をずっと覚えてて
ままが一番悔しくて、辛くて、でも心配かけんようにちょっと笑ってて
それがまた苦しくて、喉が潰れる感覚になりました
頭がぐわんぐわんした、痛かった、全部

今からやのに、今からままにとっての孫が産まれるのに、まだ親孝行できてないのに、なんのお返しもできてないのにって、ずっと泣いてた
父親になる人がずっと関東にいたから
一緒にベビー用品買いに行くことはなくて
ままがずっと一緒に来てくれてて、
一緒に選んで揃えてくれたこと、
今思えばそれで良かったなって思える
いい時間やったなあ

陣痛がきた3/2、
ままの抗がん剤が合うかどうかの検査入院が3/3からやったから
ぎりぎり、ままに病院まで送って貰えて
私は不安しかなくて、
ままとバイバイする時ずっと泣いてた
あの時、ままのイニシャルのネックレスと手紙を渡せたこと、良かったなって思う
こんな不安定な状態で臨月迎えて、陣痛迎えて入院する人ってなかなかおらんやろなあ

私が赤ちゃんと退院した1週間後くらいに
ままが検査入院から帰ってきて、
抱っこしてもらえてよかったなあってすごい思う
いっちゃんが生後1ヶ月すぎた頃、
ままの痛みがどんどん酷くなって緊急入院に
不安で仕方なくて、どうなるんやろうって
そわそわして、毎日気持ちは全く落ち着かず

緊急入院した2日後くらい、病院に呼ばれた
姉はその頃仕事が忙しくて抜けれず、
私がいっちゃんを友だちに預けて1人で病院に向かった
行きたいけど、行きたくない
会いたいけど、怖い、知りたくない、早く会いたい、

「癌の大きくなるスピードが早すぎてる、数週間、早かったら数日の話かもしれん、」

なんの構えもしてなくて、不意に、いきなり、唐突に、言われて、頭殴られたような感覚
何も考えれんくて、ボーーってしてた気がする
その後勝手にボロボロ涙が出てきて
あれ、余命って数ヶ月の単位で言われるんじゃないん?って、

「まだお母さんに話してないんです、今から話します」
って言われ、一緒に病室に行くけど
涙が止まらずちゃんと歩くこともできず、
看護師さんに支えられてなんとか病室に行った記憶

ままの顔見てもっと涙は出てくるし、
ちゃんと顔みたいのに見れんくて、
ままの手を握る自分の手はがくがく震えて冷たかった
さっき聞いた、信じたくない言葉を、
ままに告げるお医者さんの話をまた聞いて、
大泣きして、
なんとかままと話したいのに、
なにか言葉をかけたいのに言葉がうまくでてこんくて

そんな私をみたままと病院の人たちが
私を1人で車で帰すのは危ないと、
無理やり姉に来てもらうことになり
姉が来てまた話を聞き、
何回も何回もどん底に落とされた
いつもは感情をあんまり出さへん姉が泣くから、
余計にどうしようもなくて
ずっと笑ってた3人で病室で泣いてたなあ

緩和治療になること、緩和治療を自宅でするには家での準備、市役所への連絡、など
諸々する事が沢山あって
病院まで片道40分くらいかかるから
絶対に家に帰ってきて欲しくて、
そのためなら私は何でもするって誓った

いつもは音楽かけて歌ってる車内も
帰りは何も流さず、沈黙で姉と帰ってきた
子ども迎えに行って家に戻って、
放心状態の私たち、これからどうしたらいいんやろう、何をせなあかんのやろう、どうしようって
姉とふたりでわんわん泣いて、
その後どうしたかなあ
とりあえずご飯食べよって、
夜21時過ぎに何か食べたけど、何やったかな
泣いて全然眠れへんかったなあ、
夜 3時間おきにミルク飲んでた頃やから、
ボーってしたままミルク何回かあげてたら朝になってた

次の日、ままに帰ってきてもらうために
提出せなあかん諸々の書類を市役所に出しに行って
家の準備して、
ベッドの所に置く手すりや車椅子等のやり取りもして
家に来てもらう訪問看護のお医者さんたち、ケアマネージャーさんたち、病院に連絡して
いっちゃん連れまわして(ごめんね)すぐ準備して
その次の日にはママが帰って来れることになった
ちょっとでも家でままと過ごせるのが嬉しかった

【あの時 迅速な対応ですぐ動いてくれた人達に頭が上がりません、沢山ありがとうございました】

姉はあの時期仕事が忙しくて
毎日夜22時とかに帰ってきてたから
まだ1ヶ月の赤ちゃんのこと、
毎日代わる代わる来てもらう病院の人たちとのやり取り、書類のやり取り、ままのこと、家の家事、
ボケが始まってるおばあちゃんの通院、手術控えてたからおばあちゃんの病院のこと諸々、
全部私が一人でやってて

とっくにキャパオーバーの状態でフル稼働してて
でもやる事が山積みやったからこそ
あれだけ動けてたんやろなって今となっては思う
毎日ままの状態を見てたから
どんどん痛そうになって行くのとか、
薬の数が増えたりとか、
癌が大きくなって圧迫されて
あきらかに食が細くなるままを見るのがほんまに辛くて悲しくて、食べるの大好きなママが好きな物食べれるようにって
毎日美味しいご飯作って、
好きな物食べたいもの聞いてすぐ買いに行って、
買いに行く道で泣いて、帰る道で泣いて
いっちゃんの泣き声にかき消してもらいながら泣いて
ずっとずっと泣いてた

痛み止めがもう効かんくなった時
病院の人に来てもらって、モルヒネを勧められて
どうしようって私に聞くままに
ちゃんと返事出来んくて、私には決めれんくて
でもするしかなくて、
そうじゃないと痛みは抑えれんくて、

モルヒネにしたら
食べ物食べれんくなって、どんどん口がまわらんくなって、意識がとおのいていきますって
そのまま起きることはないかもしれませんって、
お医者さんの説明が怖くて、何よりも怖くて
でもするしかなくて、泣くしか出来んくて

痛みで全然寝れてなかったままが、モルヒネにかえて
ちょっとの間でも、寝れてそうで安心した

いつその時がくるかわからんから
夜も安心してちゃんと寝れず
夜中にいっちゃんのミルクで起きた時に
ままが起き上がってるのが見えて、ミルクあげ終わって寝かせたあとすぐに姉を起こしに行った

ままを後ろから支えた時、
華奢になったままの肩にまた泣いてた
痛いって言うままに
ごめんねって謝ることしかできんくて
薬のボタンも時間がこんと押せんくて、ごめんごめんって泣くしか出来んくて
どんどん息が浅くなるままを、冷たくなるままを後ろから抱きしめることしか出来んくて、
頼りなかったやろなあ

ままがいちばん怖くて痛くて、辛くて、悔しくて、しんどかったやろなあ、って思うだけで涙出てくる
夜中にすぐお医者さんや看護師さんが駆けつけてくれて、ちょっと安心した
まま、いっぱい、よく頑張ったよね

私の腕の中でままが息引き取って
何が何だか訳が分からんくて、
どういう事か理解出来んくて
嫌やってずっとずっと泣いてた、離れたくなかった

亡くなったらお化粧は私がするって
ままと約束してたから
わんわん泣きながら、泣きすぎて、見えんくて、何回も中断しながらお化粧して、

その時に初めて 看護師さんが
「まだ小さい赤ちゃん見ながら、お母さんのこともおばあちゃんのことも家のことも全部一人でして、ほんまに偉かったよ
普通の人がそう簡単にできることじゃないよ、よく頑張ったよ、お母さんきっとものすごく嬉しかったよ」
って、泣きながら私に伝えてくれて

ああ私ちゃんと頑張れてたんやなあ、
ままの力にちょっとでもなれたんかなあ、
ていっぱい泣いた
もっと他になにか出来たんじゃないかな、まだ足りんかったんじゃないかな、頼りなくなかったかなあって
未だにまだ考えるけど、どうかなあ

その後すぐにお葬式の準備や連絡とか
いっぱいせなあかん事があって
でも、ままが亡くなったらせなあかん事を
ままがちゃんとまとめてくれてて
さすが、ままはすごいなあって思いました
一生ままにかなうことは無いやろなあ

おばあちゃんにままが亡くなったこと連絡して、
おばあちゃんにも会ってもらって
おばあちゃんの悲痛な泣き声がずっと頭から離れへん
肩さすってあげることしか出来んくて、ごめんね
一人娘やもんね、おばあちゃん辛かったよね

お葬式、お通夜、姉とふたりで喪主をして
もうこんな経験したくないなって心から思った

ぱぱとおじいちゃんに会えたかな、ままがもう痛い思いせずに自由に動くことが出来てるなら
もうそれでいいかなって、思うこともあれば
それでもずっと、生きてて欲しかったなって思うこともあれば、様々で
これからもずっとこんな事を
1人でぐるぐる考えては泣くんやろうなあ私は

妊娠して実家に戻ったタイミング、
妊娠中に免許をとって、ままの通院の送迎ができたこと、ままに孫を抱っこしてもらえたこと、
陣痛がきたタイミング、
夜のミルクのタイミングで
ままが起きてる事に気づけたこと、
息引き取る時に起きずに寝ててくれたこと
全部いっちゃんが起こしてくれた奇跡やと本気で信じてる、ありがとうね

その二週間後かなあ、何もかもが耐えれんくて
自殺未遂した
あんまり覚えてないけど
もう色々が限界で、大切なものが急にいっぱいなくなって、ああもう無理やなって思って
でもうまく死ねず、死に損なって、生きてた
生きてるというか、死んでないって感覚

誰かに会ったり楽しい時は大丈夫やけど
1人になって、不意に
風や太陽に、曲に、場所に、物に、引き戻されて
ああ無理かもなってまた死にたくなって
その繰り返しで毎日生き延びてる

誰かに話す時、暗い空気にしたくなくて
明るく話すようにしてるけど
自分が自殺未遂したこと言わんようにしたけど
何が自分のためなのか、分からんくて、

これからも何回もきっと、死にたくなっては泣いて
思い出しては泣いて、を繰り返すけど
それでも確実に毎日は続いてくんやなあ
明日は絶対に来るって思ってたけど
明日がこん時もあることを、
当たり前やけど、あの時に思い知った
ままが大切にしてくれてた私自身のこと、
私はこれからも守ってあげなあかんのかなあ
頑張れるんかな、一人で、いっちゃんと二人で、大丈夫かな、

世界で一番大好きなまま、会いたいなあ
よく頑張ったね
いっぱいいっぱいありがとう
いつでも味方でいてくれてありがとう
産んでくれてありがとう
ままのもとに産まれてこれて
私はとっても幸せでした

4.

しんどい事の基準って人それぞれすぎるから
他人のしんどさを楽しそうに
自分のしんどさと比べて評価するのは
そもそもな間違い

ただ 、「 しんどいね 、よく頑張ったね 」
ってそれだけ言って欲しいだけ
精一杯優しくするのでどうか優しくしてください

歳を重ねて色んな人と関わる事が増えて
誰かの価値観にふれることも多くなって
自分の、自分の為の考えを
少し正すことも増えてきて

でも自分には優しくしてあげたい

ストイックになれる人って凄いなあって
本当に心から思うけど
自分には自分が1番優しくしてあげたい

洗濯物干して偉いね
ご飯作って偉いね
掃除ちゃんとして偉いね
毎日頑張って生きて偉いね

3.

これは本当に何回も思う事で
今までも何回も思ってきて
これからもきっと、ずっと思うんだけど

人との付き合いってめちゃくちゃに大事で
ああ今あの人に話したいなとか
あの人の声が聞きたいなとか
今あの人に会えたら元気になれるのにとか
そういう人ってちゃんといて

ずっと大事にしていかないとダメな人って
絶対いるのに、
でも、時間が経ったら忘れてる

曖昧にして放り出したまんまだと
いつか居なくなってからでは遅い
後悔先に立たずでしかない
あんなに自分の事わかってくれてた人が
気付いたらもうあんなに遠くにいる
ってなってからじゃ遅くって
会えばすぐ昔みたいに戻れる事を
多分忘れてる 、多分

もしかしたら自分の一方的な思いで
相手がそうじゃないとしたら
それはそれ 、そこまで 、終わり
今まで有難うさようなら ってこと

2.

不意に思い出す友だちとか
小さい頃の希望に満ち満ちた夢とか
いつかどこかでの他愛ない話とか
いい気分になれるものもあれば
勿論そうじゃないものもあって、

都合のいい時にだけ連絡してくる人とか
はたまた何年もずっと続いてるLINEとか
人との付き合い方はそれぞれだし
価値観って言葉で全部片付いちゃうんだけど

( そうであって欲しくない人に限って
そうだったりするような気もするけど )

誰かに 、都合いいよなあいつって
言われる存在にだけはなりたくない
実際 、自分がそう思う人がいるからこそ余計に

あいつって本当都合いいよな 、ずっと

1.

毎日毎日 、朝起きる度に

長い今日が始まるなあって思うのに

気付けばもう年が明けていて

21になったなあと思ってたら

22までのカウントダウンが始まっていて

ああもう本当に、

365日ってあっという間

長くて短い365日のうち

何日を大好きな友達と過ごせて

何日を大切な家族と過ごせて

嬉しい事は何回あって

悲しい事は何回あって

どのくらいの時間を無駄にしたんだろう

考えるだけでちょっと怖くなった

人生は長すぎるお暇